港区社長シュナイダーが人間・社会・教育について論じているブログ

管理人略歴 会社経営者/法学士(京都大学)/港区タワマン在住/英検1級/元Z会マスターコース講師

ゲームのルール

テレビゲームやスポーツにルールがあるように、現実社会にも暗黙のルールがたくさんあります。

 

あまり正面から言うと嫌われるかもしれませんが、現代社会を動かしている力学は、究極的には、

男性は頭と金であり、女性は顔です。

 

これはどれだけ綺麗事を言っても否定できないでしょう。

 

しかし自分の小学生時代を思い出しても、小学生の子供の周りを見ていても、小学校には小学校のルールがあります。

 

皆さんも記憶があると思いますけど、小学生時代にはガキ大将タイプのキャラが濃い輩が猛威をふるっていました。

 

私も、スポーツができたおかげでそこまでスクールカーストが低くなくて済みましたけど、野球やサッカーをやっている人間の中で見ると、どうもキャラクターとしては弱かったのは否定できません。

 

そして、スポーツが得意なガキ大将タイプには常にヘコヘコしていたような気がしますが、彼らの私に対する優越性はどこから生まれているのか、今から考えるとよくわかりません。

 

それでも自然と皆がしたがっているわけですから、これこそ政治学で言う「カリスマ的支配」の典型でしょう。

 

しかし、そういったガキ大将タイプも、(たいがい学力は低いので)高校大学と進学するにつれて、だんだん地位が低下していきます。

 

男のカーストというのは、

小学生の時にはスポーツができるキャラが濃いやつ

中高生のときにはイケメンで悪そうなやつ

大学生のときにはイケメンで一流大学のやつ

社会人になれば、名刺や財力のあるやつ

 

が強く、「ゲームのルール」が変わります。

 

また、細かいことを言えば、スポーツジムでは筋骨隆々なものが、草サッカーではサッカーがうまいものが「偉い人間」だと認知されるわけです。

 

大人になると、無意識のレベルでお金があったり地位があったりすると「偉い人間」だと扱われることが多いですが、それも所詮「今のゲームのルール」で「たまたま」優位に立っているにすぎません。

 

AIが高いレベルで実用化されてくると、「頭がいいことに価値がある」という前提が崩れ去っていくかもしれませんが、「まさかあ」と反応する人もいるでしょう。

 

しかし、ゲームのルールなどは所詮極めて恣意的なものです。

 

世界史を見ていても、最初に覇権を握ったのはポルトガルやスペインであり、次にイギリスに覇権がうつり、現在の暫定的なチャンピオンはアメリカです。

 

「前提条件」が変われば、序列などいくらでも変わります。

 

私はこないだゲームセンターで、握力を測ったら、あろうことか全く全国平均と同じでした。(50くらい)

 

私はかつてパワー系に関しては圧倒的に自信がありましたが、「ゲームのルールは頭だ!頭が良ければ稼げるんだ!」とここ20年位ストイックに頭に投資して、体に関しては、ウォーキング程度しか投資をしていなかったので、ありえないほど体力が低下していたわけです。

 

もちろん、今の「ゲームのルール」で言えば握力が強いことは、稼いだり生きてく上でほとんど不要な能力です。(健康に害がないレベルであれば)

 

しかし、私が頑張って投資をしてきた頭や知力に関しても、握力と同じ運命をたどらないとは誰にも断言できません。

 

戦国時代の武士としての能力が、現代社会でほとんど意味がないように、今の社会で有利な条件が、50年後には握力やナイフさばきと同じ位意味がないものとなっている可能性も十分あるわけです。

 

上で述べた、小中高大社会人のゲームのルールで、常に最上位にランクしてきた人はかなり少ないのではないでしょうか?

 

たいがい、スポーツができてキャラが濃いやつは頭が悪くて、頭が良い奴はスポーツができなくてキャラが薄いですからね。笑

 

やはり自分がたまたま有利になるルールと不利になるルールがあるわけです。

 

この事実を噛み締めた上で、謙虚に生きることの重要性はいくら強調しても強調しすぎる事はないでしょう。

 

小学生時代を思い出して、そして握力のなさに呆れてこんなことを思ってみた次第です。