港区社長シュナイダーが人間・社会・教育について論じているブログ

管理人略歴 会社経営者/法学士(京都大学)/港区タワマン在住/英検1級/元Z会マスターコース講師

「説明」と「理解」について

小さい甥っ子から「●●ってなーに?」と質問される事がたまにあります。

 

アインシュタインも言っていますが、

「わかりやすく説明する」というのは特定の対象がわかっているかわかっていないかの最大のメルクマール

です。

 

「わかりやすく説明する」というのは、極めて高度な能力で、「説明とは何か」という問は非常に哲学的な深さを持っている問だと私は思います。

 

しかし、「わかりやすく説明する」のと「本質を曲げた説明をする」のはなかなか紙一重で難しいところです。

 

小学校1年生の子供に「リョウシリキガクってなーに?」と聞かれても、正しい説明などできるわけがありませんし、仮に説明しようとしたらそれはただ単に本質をごまかしたようなインチキな説明にしかなりません。

 

私はあまりにも小学生に理解不能な質問であれば「今の君にはわからないからまたいつか説明する」と言います。

 

これに関しては賛否両論があるでしょう。

 

「いや、一緒に考えてあげたりするのが良いのではないか?」という反論があるかもしれませんが、コミニケーションの一環としてそういったことが全く無駄だと思いませんが、「リョウシリキガク」どころか「ゲンシってなに?」と聞かれても私だったら「机とか鉛筆とかいろんなものをすごく細かく分解してくとブンシって小さい小さいモノになるんだ。わかる? これでわからないなら今の君にはわからない」と答えます。

 

わからないものはわからないと開き直ってしまって、その年齢に見合った計算ドリルや漢字ドリルでもやったほうがよっぽど有益です。

 

基本的に小学生くらいの子供に何かをわかりやすく説明するためにはパラフレーズ(言い換え)しかありませんが、このパラフレーズもなかなか曲者で、やはりどこかでごまかしたような説明になってしまいます。

 

小学校の低学年の子供には、

 

せいじか=えらいひと?

いしゃ=びょうきをなおすひと

 

みたいなちょっと微妙な説明しかできません。

 

ここで私が言いたいのは、「理解」には「レベル」があるということです。

 

「戦争とは何か?」と子供に聞かれたら、「たたかう、ってことだよ」と答えておけば全く問題がないでしょう。

 

そして、小学校高学年くらいになったら「くに」という概念がなんとなくわかってくるでしょうから、その時に「戦争=くにとくにのたたかい」と理解を進化させれば良いわけです。

 

実はこれは大人でも当てはまる話で、何かを理解したり説明するときに、最初から100%の理解や説明をしようとしても、実は意味がなかったりします。

 

やはり、段階を追ってちょっとずつ理解を深めてゆくのが正しい方法でしょう。

 

皆さんも何か新しい分野に挑戦して本を読んでも全然わからなかったとしても全然心配する必要はありません。

 

なぜならば、

人間は何かを理解するのに前提となる知識が必要で、その前提となる知識がある程度固まってこないと新しいレベルの理解はできない

からです。

 

微分の理解には、グラフや関数といった最低限の知識が前提になりますし、民法学で総論を学ぶのに債権の知識がある程度前提になっていたり、「理解」には様々な「前提」があり、これが何かを「理解」することの難しさなのです。

 

ちなみに、政治とか哲学とか人文社会系のそこそこ難しい本が読めない人のほとんどは世界史と政治経済が分かっていません。

 

岩波新書ちくま新書といったある程度の程度が高い本だと、例えば、ルネッサンスとか産業革命とかヘーゲルとかグロティウスとか南北戦争とかフロンティアスピリッツとかテムズ川とかファショダ事件とか辛亥革命とかヴェルサイユ条約とか、そんな程度の事は全て「常識」として「前提」になっています。

 

こういったそこそこ難しいことが当然の前提になっているからこそ難しい本は難しいのです。(トートロジーですが)

 

理解と説明というのは、人が生きていく上で必ず必要になってくる能力ですから、自分なりにそれらについて考えてみることは非常に有益でしょう。