HKの徒然草

辣腕会社経営者が、人間や社会について論じています。京都大学法学部在学中に起業し、現在は代官山アドレス在住です。特技は語学で英検1級。

差別って難しい

What is difficult about social prejudice is that people who condemn like "that's prejudice"!" often prejudice on their part.People understand other people's prejudice because they prejudice.

差別というのはなかなか難しく、「それは差別だ!」と意気揚々としている人が実は一番差別的だったりします。

例えば、私がいつか社会を分析する文脈で「ブルーワーカーは」と発言した時に、「HKさん、それはちょっと差別的ではないですか?」と言われましたが、ブルーワーカーというのはそれ自体いい意味も悪い意味もありません。

私に指摘した人は、自分がブルーワーカーを見下してるからこそこのような発言につながるわけです。

私が「医者は」と発言したとしたら、「それはちょっと差別的ですから『医療従事者は』と置き換えるべきでしょう」などとは決して言わないでしょうから。

「デブ」や「チビ」、「田舎者」といった100%侮辱する表現が文字通り差別表現であるのは認めますが、「肉体労働者」、「売春婦」、「中卒」、「地方出身者」といったニュートラルな表現を「差別だ!」と言い始めると、あらゆる会話が差別表現だらけになってしまう気がします。

A「足立区のように所得が低い地域では・・」

B「足立区を差別している、差別だ!」

A「私立大学文系学部出身者のように自然科学のリテラシーが低い・・・」

B「私立文系をバカにするな、差別だ!」

A「地方出身者は港区に住みたがる」

B「地方出身者だと馬鹿にするな!」

何を言っても差別になってしまいます。

こういった文脈で「差別だ」、「バカにするな」と過剰に反応する人は、結局自分が差別していたり自分が一番馬鹿にしてるわけです。

自分が差別してるからこそ人が差別していることがわかる。

これが不都合な真実だと思います。

しかし、だからといって差別を放置するのが良いはずもありません。

ある程度、差別を糾弾することの欺瞞性は自覚した上で差別をなくすための努力をしないと、「正義を語る能天気なやつ」になりかねません。