HKの徒然草

辣腕会社経営者が、人間や社会について論じています。京都大学法学部在学中に起業し、現在は代官山アドレス在住です。特技は語学で英検1級。

言い訳や負け惜しみ2

先ほどの続きですが。

 

私はどんな場合でも言い訳や負け惜しみはダサいと思っています。

 

「心の声」に聞いてみても、「いや、自分は負け惜しみや言い訳ではなく、本当にそんなの欲しくないんだ」と結論が出た場合であっても、間違っても「そんなの欲しくないし、興味ないし」と言ってはいけません。

 

なぜか?

 

残念ながら、世の中には「暗黙の前提」があり、その前提の下のものが上のものに何を言っても、「負け惜しみにしか聞こえない」からです。

 

私の投稿をご覧になっている方だったらご存知の通り、私は哲学や思想にもそれなりに造詣が深い人間ですから、まさか俗世間の序列が価値の全てだとはつゆほども思っていません。

 

しかし、残念ながら、われわれは日常生活において俗人たらざるをえないのです。

 

そういった俗世間の序列において、「下」から「上」に吠えたら、それが本心であったとしても負け惜しみだと思われるわけですから、「処世術」として、すなわち自分を守り自分の評価を上げる上でも絶対に吠えてはいけないのです。

 

例えば私はよく例に挙げる例ですが、独身女性が「子育てしてるより仕事の方が楽しい」と言ったところで(たとえそれが本心だとしても)それは負け惜しみにしか聞こえません。

 

関西人がどれだけ東京をバカにして関西を上げようとしたところで、(たとえそれが本心だとしても)それは負け惜しみにしか聞こえません。

 

足立区に住んでる人間が港区住民に「港区なんて物価が高いし、狭いし住みにくくない?」と(たとえ本心で)言ったとしても、それは負け惜しみにしか聞こえません。

 

早慶未満の学歴の人間が、「慶応はチャラいし調子乗ってる」とか「東大生はガリ勉だ」などと批判したところで、(たとえそれが本心だとしても)負け惜しみにしか聞こえません。

 

大学の地味キャラ君達がテニスサークルのリア充グループを「あいつらチャラい」と批判したところで(たとえそれが本心だとしても)負け惜しみにしか聞こえません。

 

残念ながら俗世間では前提となる序列があり、その序列の下から上に吠えても、それは負け惜しみなのです。

 

たとえそれが本心だとしても負け惜しみだと社会には捉えられることを忘れてはいけません。

 

私は「わかりやすくひがんでくる人間」というのは単純に頭が悪いと思うんですよね。

 

結局下から上に吠えても上の人間は痛くも痒くもないわけで、むしろ吠えてる事を哀れんですらしまいますから。

 

わりと典型例が旦那の稼ぎが悪くて専業主婦になれなかった人が「旦那に食べさせてもらって恥ずかしくないの!?」と専業主婦に吠えたりする場合ですけど、こんなのどう考えたって「負け犬の遠吠え」だというのは誰が見ても明らかなわけですから、単純にこういうことを言ってしまう人間は頭が悪いと思うんですよね。

 

言い訳や負け惜しみを他人に発言した瞬間に、ものすごくかっこ悪くなりますから、処世術として絶対にやめたほうがいいです。

 

それは単純に自分の評価を下げないためです。

 

高邁な倫理観から言ってるわけではありません。

 

それでもこういったひがみ発言をどうしてもしたい時があるでしょう。笑笑

 

そういう時はこう言えばいいのです。

 

「私が言っても僻みに聞こえるかもしれませんが」

と一言付け加えれば、相手も反論できません。

 

下から上に発言するときはこれぐらい丁重じゃないと話を聞いてもらえませんから。

 

「処世術としての負け惜しみ論」です。笑