HKの徒然草

辣腕会社経営者が、人間や社会について論じています。京都大学法学部在学中に起業し、現在は代官山アドレス在住です。特技は語学で英検1級。

人間と生物

最近更新をしていませんでしたが、その間次の投稿に向けて世の中の森羅万象について考えを巡らせ、投稿の構成について練りに練って

 

・・などということは決してなく、夏の暑い中チンポジ(ペ二スの位置)をどのようにして安定させるかについて考えておりました。

 

チソポジや股間の蒸れ具合は、人生の幸福度に大きな影響を及ぼしますからね。

 

とは言え、電車の中でチソポジを調整していると、それはそれは品行方正な方々から冷たい視線を投げかけられますね。

 

このように、我々が人生生きにくいのは、「生物としての生」と「人間としてのあるべき生」に齟齬があるからです。

 

例えば、女性は本来20歳位で妊娠するのが生物としては理想的です。

 

しかし、「女性は大学など行かずに20歳で妊娠するべきだ」などと社会的にひとかどの人物がもし言ったら、「辞職もの」でしょう。

 

また、生物の世界では「弱肉強食」が本来自然なことであり、「人権思想」や平等というのは「人為的」な発想です。

 

それからこれと関連しますが、「人を見下す」人間は、「人間としては」あまり良いものと思われないですが、生物としては闘争本能に満ち溢れた優秀なホモ・サピエンスと言えなくもありません。

 

 

私はオスとして常に射精したいですが、やはり射精を我慢しなければなりません。

 

「生きがい」などすべてフィクションであり、本来我々には生物として遺伝子を次世代に伝える以上の「生きる意味」などないわけです(cf ドーキンス)が、それでもわれわれは「人間」として生きがいや人生の意味を求めてしまいます。

 

我々が生き悩むのは、我々が生物としてのホモサピエンスと人間とのはざまでもがき苦しんでいるからです。

 

チソポジを直したり、人目をはばからず射精したい一方で、「社会常識」も考えなくてはならない。

 

これが我々の生きる難しさなのでしょう。