HKの徒然草

辣腕会社経営者が、人間や社会について論じています。京都大学法学部在学中に起業し、現在は代官山アドレス在住です。特技は語学で英検1級。

倫理観とウソ

人間は嘘をつく動物です。

 

小さい嘘から大きな嘘まで様々な嘘をつきます。

 

およそ人生で嘘をついたことがない人は一人はいないでしょう。

 

男性でオナニーをしたことがない人が一人もいないように。

 

どういう基準で嘘を言うか言わないかというのは、人にもよりますが、

実はその基準というのは倫理観でも何でもなくただの「自分の保身」

にあります。

 

勤務先とか職歴とか学歴とか定量的なもので明らかな嘘をつく人はほとんどいないでしょう。

 

それに対して、(高校生や大学生の男子同士の会話における)童貞か否か、とか、経験人数とか、本当は大学デビューなのに「地元でやんちゃしてた」、とかは嘘のオンパレードです。 

 

これも結局、勤務先や職歴に関しては、「嘘をつくことによって良心が痛む程度>嘘をつくことによるメリット」だから皆さん本当のことを言うだけですし、本当は真面目なデビュー君なのに「中学時代は地元でやんちゃしてたからさぁ」と粋がるのは「嘘をつくことによって威勢が張れるメリット>良心が痛む程度」というだけです。

 

バレるバレない、という論点もありますが、新卒で入った会社なんて、相手がたまたまその会社の人じゃない限り、意外とわかりません。

 

就職活動のときのネタや、受験や学歴ネタでちょっとした嘘をつく人が結構いますが、当たり前ですけど、在籍したことのない会社や卒業・中退していない大学を「自分の会社」「自分の大学」と名乗るのはさすがに気が引けるので、「そっちにも受かったけどあえてこっちにした」という小さい嘘を皆さんつくわけです。

 

三菱商事にも受かったけど三井物産にした」

「ゴールドマンにも受かったけど、ワーク&ライフバランスを考えて三菱商事にした」

「慶応経済にも受かったけど、公認会計士をやりたいから慶応商学部にした」

etc

 

だいたい皆さん良心が痛まないように絶妙なラインを狙ってくるわけです。笑

 

あまりに大きな嘘はたとえバレないとしても自分の中で気が引けるわけですから。

 

電通にも受かったけど博報堂にした」

三菱商事にも受かったけど丸紅にした」

「慶応にも受かったけど立教にした」

という「絶対嘘」な嘘はバレる上に恥ずかしいので、みなさんさすがに言いません。

 

同じように、全くかすりもしない嘘は恥ずかしいので皆さん言いませんが、「ギリギリかすってる」ぐらいだと人は嘘をつくものです。

 

出身地などもそうでしょう。

 

姫路のやつが神戸と言ったり。

喜多見のやつが成城学園と言ったり。

平塚のやつが横浜と言ったり。

 

奈良出身のやつが「俺は大阪出身や。中学・高校は大阪だったから」とわけのわからないことを言っていましたがw、これもそのような苦しい言い訳を自分に言うことによって自分を納得させているのです。

 

大学院から京都大学のやつが、Facebookに「京都大学出身」と何食わぬ顔をして書いていたので、「お前、学部は立命館なのに立命館ってどこにも書いてないなぁw」と本人にネタで聞いても「いや、大学院も大学の一部だし、別に間違っていないから。最終学歴だけ書けばいいでしょ。」と苦しい言い訳をしますが、やはり全く事実でないわけではないからこそ自分の中で納得がいくんでしょう。

 

「別に俺嘘ついてないし」と自分を納得させるわけです。

 

佐賀県出身の人が「わたし横浜出身」とは普通良心が邪魔をして言えませんが、平塚出身だと「まぁ、平塚も広い意味では横浜だよな」(←めちゃくちゃな理屈)と自分で自分を納得させられるからこそついつい言ってしまうんです。

 

これも自分の中で「まぁ嘘っていうほど嘘じゃないよね」と自分をごまかすことができるのです。

 

しまいには「平塚って言っても分かんないと思うから横浜って言ったんだよ」などとかなり意味不明な言い訳で自分を納得させます。

 

嘘をつくかつかないかの分水れいは、実は倫理観でも何でもなくて、ただ自分が納得できるかどうか、自分の良心が痛まないかどうか、という完全に「自分基準」であることがわかります。

 

面白いものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ピーター・ティールの大学論2

同じタイトルの前回の投稿の続きですが。

 

かの有名なティールさんは大学教育に対して非常に懐疑的なわけですが、その根拠は非常に納得できるものです。

 

 

よく「教育力」という言葉を学校や研究機関などに使います。

 

しかし、ティールさんによると、こんなものはまやかしだと言うのです。

 

ティールさんは動画の中でこんなことを言っています。

 

https://youtu.be/rzdiWDw4teo

 

「(10:00あたりで述べている事ですが)ハーバードの教育がそんなに素晴らしいのか? そんなことはない。 そもそも遺伝や才能に優れた人材が世界中から集まってくるからハーバードの卒業生が活躍してるだけで、別にハーバードの教育が特段素晴らしいわけではない。そんなにハーバードの教育が素晴らしいなら、ハーバードは定員を10倍にしたらいい。きっと優秀な人材が10倍社会に出ることになるから。・・・って、そんなわけないでしょ? 元から才能がある人間を取ってるから結果が出てるだけなんだから。」(私の翻訳)

 

これは日本にも同じことが当てはまります。

 

灘高や開成高あたりは東京大学や医学部に多くの生徒を合格させていますが、それはただ単に中学受験や高校受験で「一番できるレイヤー」の生徒をごっそりといただいてるから。

 

そして優秀な人材同士が切磋琢磨してお互い高みを目指してるから結果が出てるだけ。

 

これが真実でしょう。

 

同じように、東京大学京都大学あたりの卒業生が社会で活躍してるのも、ただ単に優秀な人材がそこに集まってるからというだけです。

 

東京大学の卒業生が政治家や官僚として活躍したり、上場企業の役員に就任しているのも、京都大学の卒業生が自然科学系のノーベル賞ラスカー賞で圧倒的にぶっちぎっているのも、別に東大や京大の教育力が素晴らしいからではありません。

 

東大や京大では明治大学同志社大学では行っていないような「虎の巻」的な素晴らしい教育をしてるのかと言えば、そんなはずはないのです。

 

ただ日本で最も優秀な学生が東京大学に集まり、そこで切磋琢磨し高みを目指しているから、東京大学の学生が社会で活躍してるわけで、因果関係を混同してはいけません。

 

場所と学生の質がそのままで、東京大学の教授を早稲田や立教あたりの教授にしたところで、最先端の研究をするような学生以外の学生にとってはほとんど将来のキャリア等に影響はないでしょう。

 

実際、昔から東大法学部の学生は司法試験や官僚登用試験の勉強などは予備校でやっていましたし(最近制度が変わったのでちょっと今は当てはまらないかもしれませんが)、おそらく東大の価値の9割は入試による選抜機能とそれに付随するハイクオリティーな仲間との切磋琢磨にあり、「教育」そのものの価値などはせいぜい5%くらいでしょう。

 

ティールさんの言う通り、「教育力」などというのは幻想であり、実際は「すでに激しい選抜を経た能力のある人がプレステージのある組織にたまたまいる」というだけです。

 

比較的自分が学歴がない親は、子供に学歴だけは身につけさせたいと躍起になってしますが、これもひょっとしたら因果関係の混同が起きているかもしれません。

 

そもそも知能指数なり知的能力が高いから勉強ができて学歴が自然と身につくだけで、能力が低い子供に無理して学歴を身につけさせようと苦心しても、努力の方向性が間違ってると言わざるを得ません。

 

これは不都合な真実かもしれませんが、教育を考える上では避けては通れないお話でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

語学の費用対効果について

最近字幕のない外国のYouTube動画をいやみったらしく紹介していますがw、単純にできたほうがいいかできないほうがいいかという意味で言ったら、英語ができたほうがいいですし、本当に世界が広がります。

 

とは言え、もし全然英語を勉強してこなかった成人の方に外国の映画や動画が見れるようになるために、「英語を勉強したほうがいいか」どうかアドバイスをするとしたら、絶対に「やめといたほうがいいですよ」と私なら言うでしょう。

 

よほど特殊な人を除いて、「英語で情報を得る」などというのは人生の目的ではなく手段です。

 

別に日本語でも有益な情報はたくさんありますし、翻訳の本だってたくさんあります。

 

それでもなお原書で本を読んだり、動画を聞いたりするメリットがあるか、と言われたら、かなり疑問符がつきます。

 

少なくとも5000時間投資する価値があるものではありません。

 

ただし、皆さんがもし子育てをしてるのであれば英語は絶対にやらせたほうがいいです。

 

子供に関してはやはりメリットがデメリットを上回ります。

 

確かに国語力を犠牲にしてまで英語をやる必要はないですが、小さい時からコツコツと英語を勉強すれば自然と5,000時間位は英語に触れていることになりますし(小学校1年生から毎日1時間で12年だと、約5000時間になります)、単純に人生で英語を使える時間が長いわけですから、子供に関してはコストパフォーマンスを考えてもなお英語に関しては勉強したほうがいいと思います。

 

日本で教育を受ける場合、こないだのような理想論はさておき、普通は大学受験をさせることになりますが、この時に英語できると非常に有利です。

 

極端な話、早稲田や慶応の文系は英語がめちゃくちゃできたらほぼ受かります。

 

得点の半分位が英語だったりすることもよくありますから。(慶応法、慶応総合政策など)

 

また、英語は所詮言葉ですから、数学のような向き不向きが比較的ありません。

 

子供の場合は、まず日本の大学受験で死ぬほど有利だという点と、残りの人生で英語を使って様々な情報を入手したり外国人とコミニケーションが取れるという点で、英語に力を入れた方が良いでしょう。

 

私は語学に関して、基本的には両極端の考えを持っていまして、中途半端にできても本当に意味がないと思ってます。

 

英検2級とかtoeic700くらいなら、実用レベルでは全く使い物にならないので、あまり意味があると思いません。

 

めちゃくちゃ勉強するかほぼ勉強しないかのどちらかで充分だと思っています。

 

そして、例えばイチゴ農園をやる方や地方で美容師をやるような方が中学や高校で英語を勉強するのは本当に無駄で、だったらその時間は簿記や政治経済でもやればいいのにと思ってしまいます。

 

逆に本気でやるのであれば、小学生位からガンガンやらないとダメです。

 

私の半生の反省です、これは。

 

まぁ、親を恨むわけにはいかないですから仕方ない話ですが、やはり中学校1年生から普通に英語を勉強して、大学受験で偏差値75とかそれぐらいのレベルでは得意でしたけど、そこからネイティブとあまり問題がないというレベルでコミニケーションを取ったり生の動画を見たりするのに10年近くかかってるわけですから(10年とは言え、もちろん英語だけ毎日やってるわけではない前提ですが。本気になったら3年位にはなると思いますけど)、そもそものスタートに問題があるわけです。

 

また、私は中高と極めて一般的な日本の英語教育を受けているので、どうしても音声面がずっと課題でしたから、これから子供に英語を教育する方はとにかく文字ではなく耳から英語を覚えるように教育されることをお勧めします。

 

当たり前ですが、どんな言葉であっても、まずは母親の言葉を真似て耳から言葉をマスターします。

 

ですから、リスニング→スピーキング→読む書くの流れが自然なわけです。

 

(日本の学校教育の英語は順番が逆です。)

 

繰り返しますが、英語はちょっとできる位では全く意味はないですけど、日本語の思考力がそれなりにある前提でネイティブ一歩手前レベルで英語が使いこなせたらかなり人生においてアドバンテージになる事は絶対的に保証できると思います。

 

やるかやらないか、ですね。

 

 

 

 

 

 

男女の違いについて

https://youtu.be/6aUcOP6Iqo4

 

最近英語の面白い動画を紹介していますけど、なんか「語学できるんだぜ自慢」みたいに思われたらちょっと嫌ですがw、実際世界の著名な研究者の講演などは本当に面白いものが多いですね。

 

この講演については本当に目から鱗が落ちました。

 

要は、「なぜ女性に優秀な理系研究者や政治家が出てこないのか」という問に対し、「女性が優秀ではないわけではない。男性と女性を能力別にグラフ化すると、男性は能力の分布が大きく、女性は能力のばらつきが少ない。確かに女性に優秀な研究者は少ないが、逆に刑務所を見たらわかるが、男性の方が社会的に逸脱したある種優秀じゃない人間が多い」と答えているわけです。

 

つまり、仮に能力が0から100まで分布しているとすると、男性は10〜90くらいバラツキがでますが、女性は40〜60くらいの幅におさまるわけです。(※これはイメージで学問的に正確な理解ではありません)

 

上の方だけ見ると、「女性は男性より優秀じゃない」ように見えなくもないですが、実は全体で見ると、どちらが良いとかどちらが悪いとかではないのです。

 

落ちこぼれは男性の方が多いわけですから。笑

 

たしかに、公立の中学校とかで学力の下一割位は不良的な男子生徒が多かった気がしますからね。笑

 

この動画でも言われてますけど、犯罪者はまず男性ですし、問題のある人間は大体男性です。(これは腕っぷしの強さなども関係してくるとも思いますけど)

 

この動画のタイトルは"sociobiology"ですが、要するに人間社会を進化の視点から眺めているわけですね。

 

私が好きなやつです。

 

なぜ男性の方が能力のばらつきがあり、女性の方が能力のばらつきが少ないのか、というのも、やはり生物としての環境への適応と密接に関係があるのでしょう。

 

これはジェンダーの専門家にはよく怒られる話ですが、やはり生物として男が狩りに出かけ、女が住処を守るというのは、生物として何らかの合理性があるわけです。

 

「男が外で働き、女性は家を守る、なんて古いし、ジェンダー的に間違っている」というジェンダー論がありますが、ごめんなさい、間違ってるのはそっちです。笑

 

少なくても原始時代と今で、動物のレベルで我々の体や頭には何の変化もないわけですから、現代人が原始時代と同じように動いたとしても何の疑問もありません。

 

(あと3万年位したら、女性も50歳位で子供が埋めたり、男性と全く変わらないような知的能力を持つようになるかもしれませんが、その前に地球はおそらく無くなってると私は思います。笑)

 

やはり、女性はDNAレベルで家庭を守り子供を育てるようにできてるわけですから(繰り返しますがこれはジェンダー論から見ると非常に評判が悪い考えですが、実はジェンダー論が間違ってるわけです)、能力にばらつきがあってはまずいのでしょう。(ただ、いまの日本で、「社会で働いて社会に貢献したい」という女性を否定するわけではありませんので。)

 

それに対して、男性は狩に出るわけですから、獲物が取れる人間と獲物が取れない人間のギャップが生じても問題ありませんし、そこで闘争心や劣等感を掻き立てられる方がむしろ生物として生存には有利なのかもしれません。

 

繰り返しますが、上の方だけ見ていると、「男性より女性が優秀じゃない」かのような誤解を招く言説ですが、全体として見てみると、単純に男と女で分布が違うだけですから、こういった議論に関して女性の方々もあまり怒る必要はないと思います。

 

オスとメスって面白いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

やたらと日本の危機を煽る人

「『日本がスゲー』なんて言ってるようじゃやばいよ」

「中国やインドに比べたら日本なんてめちゃくちゃ発展スピードやばいよ」

「日本なんて20年ぐらいほとんど成長してないんだから」

etc

 

こういった「日本悲観論」を発信して悦に入るバカというのは一定数いますが、ただのオナニーです。

 

f:id:HK2125:20171020232334p:image

 

↑日本で負けてインドに逃げたおじさんがこんなことを言っています。笑

 

別にこういうことをおっしゃる方の言ってることが激しく間違ってるというわけではありません。

 

ただ、私が逆に聞いてみたいのは、「地理的歴史的に今の日本より問題がない桃源郷っていつどこに存在したんでしょうか?」という問です。

 

アテネローマ帝国光武帝の時代の中国、徳川時代の日本etc

 

古今東西を問わず、「問題のない社会」など存在したことは一度もないわけです。

 

別に今の日本が超特別ヤバイという事はありえません。

 

だいたい人は自分が生きてる時代と国しか経験できないわけですから、何を根拠に「今の日本が諸外国と比べてめちゃくちゃやばい」と断言できるのでしょうか?

 

GDPや経済成長率だけを持ち出して新興国と比べて日本がヤバイなんて当たり前じゃないですか?

 

逆に中国やインドも今のスピードで永遠に発展するはずがありませんし、そんなペースで発展したら地球環境に大きな影響があります。

 

というか、私よく言いますけど、そもそも宇宙の歴史の中で生物が存在していること自体が奇跡なわけ。

 

物質が本当に「たまたま」うまく集まり何とかわれわれは生物として生きてるわけですが、宇宙の歴史から見て、一瞬でも水やタンパク質といったものが超絶妙にくっつき、「意識」が生まれ、なぜかわれわれは「生きている」という感覚を持てるわけです。

 

当たり前のようで、太陽系・宇宙といったレベルで考えたときに、これはミラクルであり奇跡です。

 

こんなレベルで考え始めると、そもそもいつ地球に隕石が落ちてくるか分かりませんし、地球の自転速度もだいぶ遅くなっているというのは有名な話です。

 

中国やインドに比べて日本がヤバいって?

 

大丈夫。

 

自然世界において貨幣とかなんの意味もありませんし、だいたい皆さん心配しすぎですよ。

 

保証します。

 

死ぬ事はないですから、日本にいたら。

 

健康に生きていたら、いくらでも楽しいことはありますよ。

 

これだけインターネットで無料のレジャーがいくらでもあるわけですから。

 

私は別にお金があるから将来が安心なんじゃなくて、自分のメンタルに圧倒的な自信があるから将来が安心なんです。

 

いや、厳密には、台風とか津波とか隕石とか「自然界」のレベルでのディザスターには対応できませんが、「人間界」が少々やばくなろうが絶対に生きることはできると思ってますし、生きていれば何とかなると思ってますから。

 

人間界なんて所詮我々と同じ人間が何かやってるわけですよ。

 

どうにかなるに決まってるでしょ、五体満足で健康で頭が普通に動くならね。

 

 

 

 

選挙や政治について

めったに話さない政治ネタですが、今週末はご存知の通り衆議院選挙。

 

選挙の中身の話をするかと思いきや、むしろそこに逆行するような話をしますが。笑

 

政治学投票行動で有名な話ですが、

およそ個人の利益を最大化する上で、「投票に行かない」のが最も優れた戦略である

というのはよく言われている話です。

 

たしかに

「あなたの一票」は事実上何の意味もない

わけですから。笑

 

いや、「みんながそんなこと言ったら政治がダメになる」というありきたりな反論もありますが、これも例のゲーム理論で、やはり「この私」が投票に行く意味は基本的に限りなくないわけです。

 

これは政治学投票行動論では常識です。

 

結果に影響を与える事はないわけですから。

 

私は民主主義論とかゆとり教育、富の再分配といったマクロで長期スパンの政治に興味はありますが、面白いほどに、短期スパンの政治動向には全くと言ってほど興味がありません。

 

サミュエル・ハンチントンという国際政治学者も言っていますが、政治的無関心というのは決して悪いことではありません。

 

彼が言うには、政治的無関心な層が一定数いて、それでもそれなりに社会が回って混乱していないというのは、成熟した社会である証拠だということです。

 

国債がなんだ、築地がなんだ、歴史問題がなんだetc

 

確かに政治的な問題は山積みに見えるかもしれませんが、では逆に地理的歴史的に今の日本ほど問題がない社会って存在するのでしょうか?

 

江戸時代の天保の大飢饉とか、近代のフランス革命とか、つい最近のジャスミン革命とか、

「本当にやばい状態」だったら誰もが政治に興味を持つでしょうけど、それって逆に不健全な状態

だと思いませんか??

 

次に日本の国政選挙の投票率が80%を超えることがもしあったとしたら、戦争とか圧倒的にやばい状態である事は間違いないでしょう。

 

断言しますが、養老孟司もおっしゃる通り、政治なんておまじないです。

 

明後日の選挙で日本の行く末が決まる?

 

そんなはずはないのです。

 

私のようにミクロな政治に全く興味がなく、選挙に行かない人間にやたらとマウンティングしてくる輩がいますが、私から言わせると、こういう輩は

政治をオナニーの道具にして「俺ってインテリじゃない?」とアピール&マウンティングしたいだけ

ですよ。

 

そもそも、そこまで政治や社会に興味があるのであれば・・・

 

川沿いの掃除でもしてるんですか?

 

東京オリンピックのボランティアでもやるつもりですか?

 

駅などでキョロキョロして困ってる人がいたらあなたは助けるんですか?

 

東北にボランティアで行きましたか?

 

と私は問いたい。

 

「国の政治」とか言いますけど、結局はミクロのところに分解して言えば、道路掃除とか小さい人助けとかこういったところに還元されると思うのです。

 

小さいところで人の役に立てないような人が「国政」なんて大層なものになったら突然優秀になるわけがないのです。

 

政治以前に、まずは身近なところから人を幸せにした上で、それでも余力がある人だけが「選挙に行かないやつはダメだ」と言う資格があると思っています。

 

政治って結局は国民を幸せにするための営み

 

ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

ピーター・ティールの大学論

https://youtu.be/rzdiWDw4teo

 

すみません、また動画の引用ですが。

 

かの有名なピーターティールさんの大学論があまりにも面白いので、解説をしながら自説を述べたいと思います。

 

f:id:HK2125:20171020162936j:image

 

ティールさんの動画のタイトルを見ていただきたいのですが、「大学教育はイカサマではないか?」と翻訳されます。

 

なんのことかよくわからないと思われますが、ティールさんによると、「ほとんどの人」にとって「ほとんどの大学」は意味がないのに、「ほとんどの人」は大学に行けば何か人生が変わると思って大学に行きます。

 

これはアメリカでも日本でも全く変わらないのだなあ、と感じました。

 

ティールさんは傲慢なエリート主義でこんなことを言ってるわけではなく、本当に「大学教育の社会的な意義」について危惧しておられるのだと思います。

 

そして私もほぼ全く同じことを思っています。

 

冷静に考えてみたら、ほとんどの人にとって、大学教育というのはかなり謎なものです。

 

大学教育の目的を教養の陶冶と考えるか、職業訓練のような場所と考えるのかによっても結論は変わってきますが、ほとんどの学生は学者になるわけではないですから、旧帝国大学あたりですら大学はもはや学問をする場所とは言えません。

 

それなのに、ほとんどの大学では学者が実社会ではほとんど役に立たない学問を永遠と教えているわけです。

 

医学部や薬学部のように完全に職業訓練の場所として設置されている学部や理工系のようにある程度将来の職業とつながっている学部は別ですが、例えば政治学科とか社会学科あたりは正直存在意義がかなり?な学部学科でしょう。

 

こういうことを言うと大体予想される反論は分かっています。

 

「大学教育の目的は実社会で役に立つことを教えるわけではなく、人格や教養の陶冶である。大学は職業訓練の場所ではないし、それは専門学校でやることだ」

 

コミュ障で学問馬鹿の大学教授は、自分が得意な土俵に何とか持っていきたいので、こういったことを大体言います。

 

しかし、ここまで大学教育が大衆化してくると、やはり大学も「学問の府」とは到底言えませんし、ある程度社会の要請に歩み寄る必要があると思います。

 

それか(実はこちらの方が本当はドラスティックな解決になるのですが)、そもそも大学の進学率を3%程度に抑えるか、ですね。

 

大学の本来の意味を変えることなく大学を機能させるためには、医学部や理工系は基本的にはそのままでエンジニアや医者になる人向けだけに定員を削減、文系に関しては学者、弁護士、官僚になる人向けの学部だけを残してあとはバッサリ切る。

 

正直、日大や東海大学政治学社会学を教えても、社会的にはオナニーでしかありません。

 

厳しいようですけど、正直旧帝国大学、一橋東工あたりしか存在していても社会的に意味がありません。

 

研究機関として考えても教育機関として考えても、あまりにも存在意義のない大学が日本には多すぎです。(し、ティールさんによるとアメリカも似たような状況みたいですね)

 

これは馬鹿にしてるとかそういう低い次元の話ではなく、そもそも学問や学問から得られる知識をそのまま仕事で使うような人はほとんどいないわけですから、これぐらい本来ドラスティックにやるべきでしょう。

 

そもそも諸悪の根源は、ほとんどの仕事で大学で学んだことなんてほぼ使わないのに、なぜか「大卒以上」や「(実質的に)早稲田慶応以上」といった就職におけるクライテリアがあることにあります。

 

政治学社会学を学んだ人間が、なぜか広告代理店や総合商社で働くわけです。

 

物理工学や生物学を学んだ人間が、なぜか証券会社や生命保険会社で働くわけです。

 

これって当たり前のようでめちゃくちゃおかしな話ですからね。

 

日本だと常識だから当たり前だと思ってるだけで、先入観なしに考えたら、何のための大学教育なのか全く分かりません。

 

予想される反論として、「いや、直接知識として使わなくてもそこで培った思考力や推論が仕事に役に立つのだ」という意見もあると思いますが、学者になるわけでもないのなら、別にそんなに迂遠な方法を取らなくても、簿記とかビジネス英語とかやったほうがいいんじゃないですか?笑

 

どうせ興味がないのに勉強した政治学社会学なんて10年後にはきれいさっぱり忘れていますよ?

 

文系の学問で培った思考力なんてたかが知れてますよ。

 

30歳の政治学科出身の人に「リバタリアンコミュニタリアンの違いについて300文字以内で述べてください」、「マキャベリ君主論について300字以内で述べてください」とテストをしたところで、答えられる人は、東大京早慶出身者の法学政治学系出身者限定しても20%もいないでしょう。

 

同様の質問を経済学部出身の人にしても似たような結果になるでしょう。

 

アダム・スミスケインズの経済政策の違いについて500字以内で簡潔述べてください」と質問してまともに答えが返ってくる人が上と同じレイヤーの人にしても20%もいないでしょう。

 

はい、ほとんどの人は学問のことなど何も分からずに学位証だけ手にして社会に出るわけです。(ちなみに、だからといって個別の政治学科や経済学部の出身の人をばかりしてるわけではありません。システムとしてむしろ彼らは被害者のわけですから。たいして勉強したくないのにわざわざ就職のために大学に行かされてるわけですからね。)

 

日本の大学入試は資格試験のようなシグナル機能があるので、全く無意味だと思いませんが、大学の4年間は、医学部や理工系、(弁護士や官僚になる人にとっての)法学部といった本当に一部の学部を除いてレジャーランドでしかありませんし、企業もそれを問題視しないという事は、大学は「就職に有利な学位証を発行してくれる機関」でしかありません。

 

ホリエモンが言うように、日本の大学なんて入る以上の意味なんてほとんどないわけです。

 

そしてティールも同じようなことを言っています。

 

ティールは「みんな大学を保険のように感じていて、何となく不安だから子供を大学に行かせるが、時間やお金に見合った価値などほとんどない。」と動画で述べていますが、全くその通りですね。

 

私ごときが何を言っても変わりませんから、ティールさんに社会的な提言をどんどんしていただきたいですがww、ほとんどの人にとって大学教育なんて意味がありませんし、それを前提として人を採用している日本企業も全くナンセンスです。

 

大学教育ほど形骸化してるものはないでしょうね。